2012年8月6日月曜日

プラモンコンテープムニー大師


プラモンコンテープムニー大師の生涯



 ソッド・ミーケウノイ(大師出家前の名前)はラーマ5世の時代であった18841010日スパンブリー県ソンピーノン市に生まれました。1917年、22歳でスパンブリー県内にあるソンピーノン寺院で出家しました。12年後、ノンタブリー県にあるボーツボン寺院に住むことにしました。大師はそこで命をかけて瞑想を実践し、タンマガーイに到達しました。そして、大師はタンマガーイへの到達法を国内外にいる信者に教えました。1918年、パークナム寺院の住職に就かれました。大師はパークナム寺院で僧侶への教育を推進し、懸命に瞑想を教えました。大師はタンマガーイ瞑想を広め、当時の人々に聖なるタンマガーイ瞑想の奇跡を知らしめました。そして、195923日この世を去りました。
 その後、それらの出来事が広く伝承され、大師はルァンプーワットパークナムという名で当時の民衆に親しまれ、現在でも人々に一目置かれています。

プラモンコンテープムニー大師の重要性
 大師は因果応報や輪廻転生から解脱することについて語られ、仏陀の悟りや教えの存在を証明しました。大師は私たちに三蔵経に書かれている仏陀の教えを教えてくださいました。三蔵経にはタンマガーイという言葉は書かれていましたが、タンマガーイへの到達法は書かれていませんでした。私たちがタンマガーイという言葉やタンマガーイに到達する方法を知ることができたのは、大師がタンマガーイへの到達法を再発見し世間に広く伝えてくれたからです。
 大師は仏陀の教えである地獄や天国や罪や功徳などの存在を主張しました。そしてタンマガーイへの到達法を教え、私たちに仏陀の教えを証明してくれまいした。そのおかげで私たちは心をコントロールし悪い行いを怖がり、真面目に善い行いをするようになりました。
 信者である私たちは、命をかけてタンマガーイへの到達法を世間に伝えてくださった大師へ恩返しするために、プラモンコンテープムニー大師黄金像鋳造式典を行うことにしました。この黄金像は大師がタンマガーイ瞑想を発見した証拠となり、将来的には新世代が大師のタンマガーイ瞑想や善行の歴史を知るための術になることでしょう